16-05・御礼 水俣市産業建設部 経済観光課 商工観光振興室KK様及び一同様

このエントリーをはてなブックマークに追加

御礼 水俣市産業建設部 経済観光課 商工観光振興室
KK様及び一同様


今回の旅の目的の一つが、犠牲者慰霊碑へのお参りと水俣の限りない青い海を撮ることでした。後者につきましては、1983年夏に水俣を訪問した際に、限りなくきれいな青さに驚きました。

私の著作の書き出しが、「水俣の海は限りなく、青く美しかった」です。
1983年の訪問の際には、カメラはまだやっておらず、壊れかかったカメラで写しただけでした。そこで、教材や著書には、水俣の青い海は他人が撮影した写真を使用していました。これでは、出版に当たり、著作権侵害となるため、1996年に再度水俣の撮影に行きました。ところが、残念ながら、激しい雨で目的は果たせませんでした。

こういう次第で、水俣の限りなく、青く美しい海を撮る必要がありました。コンビニの親切な女性店員の方が、湯の児をお勧めになられました。しかし、地図はないし、また他の場所も撮影する必要があり、水俣市役所観光課に問合せした次第です。

観光課の方も、湯の児をお勧めになり、同時に水俣病資料館も紹介していただきました。ただ、「山があり急勾配で、自転車では大変なので、バスを勧める」とのことでした。確かに、山があり、押して登り、大変でした。

しかし、徒歩半分、自転車半分で、水俣の美しい自然を堪能できました。とりわけ、大きな収穫は明水園を撮影できたことでした。

思えば、今から33年前(1983年)に、教員の研究会で熊本に泊まり、その後、希望者で水俣を訪問させていただきました。そのときに、明水園で、水俣病患者の方のお話を伺った懐かしい思い出の地です。

明水園を訪問させていただきたいのは山々でしたが、前回はアポイントメントをとり、集団で行かせていただきましたが、今回は一人でおまけにアポイントメントもとっていない以上、迷惑を考え、遠方から撮影させていただきました。撮影枚数は約35枚です。それも明水園かどうか半信半疑のため、一部セーブしての撮影です。万一、明水園だったならば……という思いでの撮影でこの枚数です。そのくらいに、私にとっては思い出の地の一つです。(水俣病資料館に行って、やはり、明水園で間違いないことが分かりました。)


本題に戻ります。
水俣の地は、限りなく美しかったです。徒歩と自転車となれば、その美しさが、肌を伝わってしみこんできました。フィールドワークの原則は、その地を肌に馴染(なじ)ませるです。自転車や徒歩は大変です。しかし、その地の声、歴史の声、地の叫びを聞くためには、徒歩と自転車は最適です。再度痛感した次第です。


ただ、政経の専門家である以上、その視点から多少余分なことを書かせていただきます。湯の児島公園はすばらしかったです。この美しい水俣の自然は石油と一緒です。石油は大昔から知られていました。しかし、その活用方法が分かるまでは、「汚い飲めない、ときには燃える、やっかいな水」として扱われていました。活用方法が分かると一転したことは御承知の通りです。水俣のこのすばらしい自然も、観光資源、健康用資源として生かされれば石油同様に大変な価値をもつでしょう。だが、そうでなければ、維持・管理で、大昔の石油同様やっかいなものとなるかもしれません。

車の観光もすばらしいでしょう。バスも、タクシーも便利です。しかし、徒歩とか自転車はときには何にも替え難いものを与えてくれます。
高齢化社会で健康が重視されているためなおさらでしょう。岡山県の吉備路風土記の丘には自転車専用道路があります。自転車・徒歩での観光紹介なども検討されたならばいかがでしょうか。

同時に、バス、タクシー、自転車、徒歩は競合するものではありません。実際は共存共栄するものなのです。ときには運命共同体のことすらあります。そこで、バス、タクシー、自転車、徒歩をうまく連結すれば、パイ(観光客・訪問客)自体の増加に繋がるため、すべての業界が潤うことが多々あります。その逆も然(しか)りです。自転車や徒歩の客が増えれば、実はタクシーやバス業界は儲かるのです。専門的になりますため、この話は私のHP・ブログでいつか政経専門家の見地から記します。


湯の児から、水俣病資料館まで、水俣の地を十分味わえました。ただ、時間切れで、乙女塚、百間川などは無理でした。また、福田農場も無理でした。翌日は、朝水俣を出ましても、我が家着が18時20分であり、これに乗り遅れると我が家着は(終電で)22時頃となりますが、万一汽車がおくれれば、昨年の広島の如(ごと)く駅で1夜を過ごす羽目となるため、残念ながら、翌26日は水俣を見て回ることはできませんでした。(私の住まいは、鳥取と岡山の中間であり、過疎のため、一番面倒なのが岡山市から我が家までの道中なのです。)


本来ならば、写真つきで紹介したいのですが、長崎・水俣での撮影枚数が2500枚であり、整理できていません。また写真一枚が100メガバイト(16ビット現像ならば200メガバイト超過)あり、圧縮では無理で、縮小し圧縮せねばならぬため、今回は間に合いませんでした。
明日、水俣病資料館宛への御礼(おんれい)を記すときには1~2枚でも掲載できればと考えています。ただし、次年度中には水俣関連の特設・常設サイトを作る予定でいます。詳細は明日の水俣病資料館宛の文書を参考ください。

最後に蛇足を記します。観光課KKさんは私に言いました。
「湯の児に行き、水俣病資料館に行けばちょうど、そこから夕日が見えます」、と。本当に夕日が見えました。そこで、KK様は観光課ではなく、水俣市役所天気予報課へ配置がえしたらいかがでしょうか。(*^▽^*)。勿論冗談です。

水俣観光課及び市役所の皆様には大変丁寧に対応していただき厚く御礼申し上げます。また、自転車で走行中、出会う車がほぼすべて人に優しい運転をされていたことも、旅の良い思い出となりました。

2016年12月1日
浜田隆政

2016年12月1日