T15-06・父系従兄弟と母系従兄弟……冠婚葬祭はどこまでか。

 

 

(1)父系従兄弟と母系従兄弟の線引きは数学上は不可能(T15-02関連)。

項目のみ記述する。

     

(A)私の母系の本家の従兄弟(いとこ)は、父系か母系か。
①私から見れば母系の従兄弟となり、従兄弟から見れば父系の従兄弟となる。
本家の伯父さんが母の兄という場合。

 

②我が家で一緒に昔住んでいたMOさん。
彼女から見れば私は母系の従兄弟。私から見れば父系の従兄弟。

 

③近所の従兄弟Aの叔母系の本家の長男B。
AからBを見れば母系の従兄弟、BからAをみれば父系の従兄弟。

 

★人間関係はグラデーションであり、線引きは大変難しい。
そこで多くの人は「ここだけの話(Between you and me)」を使用する。「あなただけは特別よ。同じ親戚関係の△△さんには内緒よ」、これを使う人が多い。若しくは暗黙の了承で行う。だが、私が同様なことを言えば、「ここだけの話」の証拠もつけて日本中どころか世界中に知れ渡るであろう。
またどうでもよいことでも、別格とされる。時には天皇陛下並みである。海外に行けば実感するときが多い。だが、特別扱いされても、待遇は訳ありの連続で通常の人よりも酷(ひど)いときが多い。
本年こそは裏の顔と表の顔を一致させてくれとなる。
(2)桎梏(しっこく)

冠婚葬祭類は、私の分析では、大昔の村落共同体社会に根ざしている場合が多い。しかも、全員農家の自営業と、全員での田植え・稲刈りという共同作業なしには生きられない時代に対応したものが多い。経済構造が変わり、本来廃止しなければならない習慣が残っている。当然、人間関係をよくするために作られた制度であっても、土台が昔の村落構造で、その上部構造として制度・習慣が形成されていた以上、土台が変化すれば逆効果となるであろう。
昔はそうした習慣が必要不可欠であっても、経済構造が変化すれば、本来の目的であった人間関係の潤滑油という観点からも逆効果となる。
ヘーゲル弁証法という難解な言葉を使用すれば、もはやそうした習慣は桎梏(しっこく)となっている。人間関係を潤滑にするための習慣は、土台の経済構造が変化すれば、人間関係を悪化させるための習慣(悪習)へと変化してきている。
弁証法という語を使用すれば、この桎梏(fetters)を止揚(Aufheben)しなければならないとなる。この問題に関しては、学術的に私の公式HPにその歴史と理論を掲載する(原稿は既に大半記述したメモがある)。

 

しかし、そこまでいかなくても、当面は香典以外は、招待を受け、招待に応じるときにだけ祝い類はするようにしたらどうであろうか。
 「出産祝い」「入学祝い」「退院祝い」「結婚祝い」「就職祝い」「新築祝い」「還暦祝い」「金婚式祝い」「古希の祝い」「米寿の祝い」「誕生日祝い」……

要するに、新築祝いならば、新築をした人がパーティを催し、それに参加するときにだけ祝いをする、というふうに。参加しないときや、呼ばれないときはしない。還暦祝いや出産祝いも同様である。
だが呼ばれると更に負担が増える場合がある。すると、どんどん人を呼ぶのは遠慮しだす。それで良いのでは (そう、人を呼ぶこと、呼ばれることも苦痛な人が多い。だから、それも徐々に廃止が望ましい。新しい時代に対応する新しい制度と習慣が臨まれている)。これからは地縁・血縁関係よりも、友人関係・サークル関係でそうしたことを中心にする時代が来るであろう。後者の場合にはいつでも簡単に脱会できる自由もあるし、一つの目的で結合しているため問題は前者よりは少ない。前者は一般に脱会できない組織だからである。ときには加入した覚えもない組織だからである。
テンニースの言うGemeinschafts(共同体社会)からGesellschaft(利益社会)への移行の考えに近い。いずれ、これについても論じる。

本年末か次年度前半に、浜田隆政公式HPの主張・政経主張で歴史と理論から現実の世界を分析することにする。