T15-01に関連して、2002年に恩師の写真をどう撮るつもりでいたかを記述する。
妨害がなければ、1997年に母を写したときと同様な形で撮るつもりでいた。同一の部屋で、97年当時、手振れ防止レンズも所有しておらず、明るいレンズも所有していなかったときに、FG15-53-1で記したように、2時間かけてフィルム三本使用して、結果を出している。面白いのが数枚撮れたが都合で今回は一枚だけ紹介する。
タイトルは「Oriental mother」(東洋の母)である。外国の人を意識して、日本の母を強調する目的と日本の文化紹介を兼ねて撮影した。写真の解説や類似写真は後日どこかで紹介する。今回、都合で母の顔の一部を白く潰している。作品のため、問題なければ無修正で後日公開する。
妨害なければ、恩師の写真も、相当な確率で決めていた。ただ、最初の二十枚くらいはリズムがでずに失敗していたであろう。
なお、今後、トラブル関連記述は仕事関係の邪魔になるため、トラブル関連専用サイトを本日作成し、ここに記す。安らぎ文庫HPは仕事のために作成しており、浜田隆政公式HPもそれを補完するために作成している。こんな所(公式HPや安らぎ文庫HP)にトラブル類を書くと商売にならないからである。
今回の文書FG15-53はFacebookにだけ掲載予定でいたが、以下の理由でGoogle+への掲載の検討と私のトラブル専用Blogにも掲載した。
こうしたつまらぬことをGoogle+にも掲載することには抵抗があったが、Blog類を私のAccessへコピー保存する上での便宜的問題からGoogle+にも掲載を後日するか検討中である。
次に、トラブル専用Blogを作ったのでそこにも掲載した。ここにはFacebookにかいていないこともあるが、特に他人にみてほしいとは思っていない。危害類はガラス張り公開を公言しているため掲載しているだけである。
※当面、Google+にはTwitterに掲載したものを載せ、Facebookに掲載(この私的記録・トラブルBlogに掲載の一部)は掲載しないことにする。