(2)今回のフィールドワークの不可思議さ。
既述のごとく、上記課題及び幾つかの目的で行く、この大阪方面へのフィールドワークは別日程で組んでいた。そこで、今回、まだ大阪方面でのフィールドワークにその準備ができていないのに、何故行ったのか不思議で仕方がない。
不可思議な経緯を記す。
①10月下旬から11月にかけてのフィールドワークの候補は(妨害が起こったら困るため、ホームページへの掲載は控えていたが)出雲街道であった。これは拙著『旅に心を求めて・教材編』第9章「日本の美を求めて出雲街道を行く――山小屋での思い出、そしてハーンが見た日本の美を求めて」関連の写真補強が目的であった。
この原稿を補強する写真は1994年11月撮影のしかない。だが、同年は一眼レフカメラを開始した年であり、全くのど素人写真しかなく困っていた。そして時期を10月下旬~11月としていたのは、94年撮影が紅葉の写真だったからである。
②だが出雲街道を行く手段がなく困ってしまった。当初は自転車で行こうかとか、自家用車を所有している友人を誘おうかとか考えたがいずれも暗礁に乗り上げている。そこで、10月から11月はフィールドワークは中止の予定でいた。寝ている間の甘言(誕生日月なので、……どこかに行ったら)に対しては、妥協線は〝素朴な地の海(候補・鳥取か高松周辺)〟〝海の撮影〟であった。そこで父母・祖先に想いを巡らせる、であった。関連資料を拙著Twitter記載のものから抜粋する。
《資料。拙著Twitterから抜粋》
浜田隆政 (Takamasa) @Takamasa_Hamada · 11月2日
15-160-2.他の文章も同様。
上記及び母の命日までに整理・掃除をで超多忙で、Fieldworkは十月は中止。十一月も中止の予定でいた。だが、今月は私の誕生日月かつ母のなくなった月ということで、ずっと一日海を見続けながら、一度身内の故人を思い出してみようかとも思い出した
15-160-3.昼・夕方・夜・早朝・朝の海を。名もなき無名の地の海を。祖父母・両親・長姉・伯母・叔母・叔父等々を久々に思いだそうかとも思い出す。だが、自家用車もないため、実現するかどうかは不明である。
明日になれば、また、故人・旅どころか原稿等仕事だけを考えているかもしれない。
要するに、もし行っても目的はじっくりと祖先を振り返り、自分の今後の生き方の検討、写真は『日本のフィクサーME』シリーズで使用するため、海の写真(可能な限り、夜明け前か深夜、夕方の海)であった。Fieldworkの準備とはその準備と今後のField準備のことである。
③ところが……今回、気がつけば大阪にいた。
こんな馬鹿な。しかも海抜きで。大阪は悪い地ではない。拙著『日本のフィクサーME』は大阪を舞台にしてすらいる(その原稿の、2010年から11年作成過程と相前後して関西に外国人観光客が殺到しだした。その後で日本全国に……)。だが、大阪は面白い地のため、大阪用のフィールドワークを既に計画しており、それに向けて準備中である。それも当面ですら二度。 大阪は面白い地のため、大阪用のフィールドワークを既に計画しており、それに向けて準備中である。それも当面ですら二度。
というのも既に大阪用に予定を組んで、宿まで予約しているのである。大阪方面のフィールドワークは11月23日以降のX日とZ日(9月上旬と10月中旬頃に予約済み)。では、準備前に何故大阪に行ったのだろうか。不思議で仕方ない。準備前に行って主要な目的の大半が果たせるわけがない。しかも既に大阪用に予定を組んで、宿まで予約していたのに。
④出発前の不可思議なこと。
(A)行きの不可思議さ。
当初「出雲街道を行く」→暗礁に乗り上げ秋のField自体中止と決定→先の甘言で、では海(候補地高松周辺か鳥取周辺)を検討→出発数日前に甘言で、「高松ならば日本のフィクサーME・下巻との関連で高松~神戸へ行き、神戸から帰っては」、と。ではそうしようかと思う。ただし大阪が入るならば大阪市長選・知事選が終了した11月23日以降が望ましい。それに多忙で即座にはいけない。
なお、23日は天気が雨との天気予報、では23日として高松だけとするか(高松の光の祭典撮影と海の撮影、そしてひたすら海を見る)、それとも高松~神戸・大阪として11月24日以降とするか迷う。
結局、23日に起きてから決めることにした。すると、23日は天気はよくない。そして、23日は連休で船は混むとの暗示あり。高松方面は23日~11月末まで候補ホテルは空きあり、関西でも24日は宝塚方面でよいのがあった。こうして、宿はとっていなかったが、何故か尼崎を突如予約。尼崎には行く用事はあるが、それは先のX日かZ日かを考えており、同日には尼崎平和連邦記念像関連の資料も準備していなかった。
尼崎市役所に問合せ後に送付されてきたイラスト地図の作成者「東横INN」のホテルの宿泊条件や空き状態の確認もする暇もなかった。
こうして、高松抜きで大阪方面行きとなる。だが、何度も書くが、X日とZ日に大阪・関西方面と決まっているのである。
(B)帰りの不可思議さ。
駅においていた自転車の後輪にチェーンをしていたのに、帰ると前輪となっていた。更に道中で右折を装い、車道の右走行の車に出合う。この車は確か法務局方面に行ったように思う。このケースは1997年の自動車事故に類似していた。私は催眠誘導による車走行と事故遭遇被害と記し続けている例の件である。
(C)道中の不可思議さ。
また、道中でも、出発前に準備していた薬がベストに入っていなかった不可思議さ。更に、尼崎訪問の際には尼崎関連の観光地を歩く予定でいたが、催眠型鬱状態で気力がでず、平和祈念像撮影以外は尼崎はどこにもいかず。これではフィールドワークとはいえず。帰りに、姫路駅で2時間余りの接続待ちがあり、紅葉の姫路城に行ったが見る気力も撮る気力もなく、すぐ後にして汽車の待ち時間がまだ一時間以上あったという始末である。
※公式HP>書込記録>Fieldworkの記録2015-4の(1)~(5)の中から(2)のみ抜粋。下線部クリックでGo!