重要情報公開№6・労基法違反編(2)―長い付き合いのあったベネッセで何故私が被害を(相互理解の為に記述)

重要情報公開№6・労基法違反編(2)―長い付き合いのあったベネッセで何故私が被害を(相互理解の為に記述)


【掲載目的】


①前回述べた如く、ベネッセとの長い関係が、事実上の労基法違反被害で途絶えている。私も65才となる。そこで、お互いの信用回復を目的とする。

②(事実上の)労基法違反はベネッセの子会社に委託して行われたように思われる。そこでベネッセ関係者に、まず事実を知ってもらうこと。

特に福武総一郎氏に。

今回の、(事実上の)労基法違反に誰か(個人か団体か不明も)関与している疑惑がある。しかも、故意に行った疑惑が高い。

関与していた人物・団体を明らかにすること。

④今回の掲載は、(事実上の)労基法違反の基本手口の幾つかを解説したものである。本格的な内容は次回、進研模試担当者(ベネッセから途中で子会社に変わった可能性が高い)宛て手紙で紹介する。今回は概略にすぎない。

現在の私の経済危機は、私の能力や年齢問題ではなく、人権剥奪(経済の自由・契約の自由・人身の自由などの剥奪)にある。

そこで、この人権侵害に歯止めをかける目的で、今回の文書を掲載する。


⑥この事件の結果、どんなバイトでも無料とか赤字労働を強いられるという恐怖を覚えた事件であった

姪が、時給二~三千円のバイトでも地道にと言っていたが、それすら、無料とか赤字にさせられる危険があるという脅しを受けた事件の一つである。

⑦今回、概略として生々しい文章(被害状況)を書きかけたが、そうした文書は冷却期間をおくなど冷静さが必要なため掲載せず、2007年から2008年にかけて書いた『閉じた窓にも日は昇る』からの引用にとどめる(出版は電子書籍で2016年)。

この本は当時の被害を穏やかな形で記述しているにすぎない

吟味もしている。当時の模試原稿コピーにも、当時書いた手紙なども目を通して書いてもいる。

この文書記述途中、脅しの如く、今書いている文書が突如喪失した(2017年4月28日:11:59)

だが、再度言う。世界中の指導者を含む、世界中の多くの人が注視していることを。世界中の指導者も注視していることを強調しておく。
誰が本日11時59分に脅しをかけたのか。


以下、『閉じた窓にも日は昇る』(Kindle版、2016年:原稿の記述は2007年から2008年)から抜粋する。


第二四章・パッチテストという名の話題提供型危害開始(刺客―9)

 右記の文書を送付するや否や、以下三つの犯罪被害が強化されてきた。

 (1)恰(あたか)も、何らかの保険適用になるという暗示を私にかけた上で、道路交通法違反、商業上の違法行為等を含むありとあらゆる違法行為・不法行為や無茶苦茶なことを吹っ掛けてきた。

こんな馬鹿なパッチテストはない。

水俣病(みなまたびょう)患者に、本当にチッソの水銀が原因かどうかを調べるために、もう一度水銀を飲ませるが如(ごと)くことをされた。

これらは詳細に記録をつけ毎年一覧表にして立会人新免議員と主治医に送付し続けている。

 (2)私には、本来自分で稼ぐ能力があった。

だが、こうした(1)により、それを妨害され続けてきたのみか、(岡短辞職後で闘争以前には)急速に回復しかけていた健康が逆戻りし、後にも遅々(ちち)たる快復へと追い込まれた。

 (3)同時に、以下述べる如(ごと)く、一〇年以上に亘(わた)る文字通りの自宅監禁(かんきん)という犯罪を行われることになる。


 この種の刺客(しかく)が二〇〇〇年から二〇〇一年のベネッセ進研(しんけん)模試チェックの件(刺客―9)である。

同模試は一九八一年頃から作成、監修、後にはチェックをバイトとして請(う)け負(お)っていた。バイトと言っても二〇〇〇年頃で(年間九本くらい)年収約一五万円でしかない。

それ以前も問題があったが、特に意識されだしたのが同年五月二三日の分割送付の頃である。同模試の仕組みを企業秘密に触れない程度に概略のみ記す。

(ア)誰かが問題を作成→(イ)私はじめ何人かがチェック→(ウ)監修(かんしゅう)会議等で結論→(エ)印刷である。



 次に、労働強化(実質賃金切下げ手口)を解説する。

 ①一九九三年頃実施模試にミスがありクレームがついたということで、チェック者全員に無料でやり直しを求められた。

(チェック者への損害賠償契約はないが事実上行われた。)

その結果、私の方は責任感とプライドより相当厳しくチェックをするよう強いられた。

 ②それを利用して、雑な問題をどんどん作成し送付してきたり、時には問題文や年号が空白で、私がそれを埋めたりしなければならないことも多々あった。

事実上、私に作成を押し付けたに等しい。内容も高校生の作文かというお粗末(そまつ)さである。

他人の下手(へた)な原稿の手直しは大変であり、自分で最初から作成した方が楽であるのみか報酬も五~十倍になる。

このようにして労働は強化された。

一九九五年末~一九九六年は一回当たり約六〇時間(夏は図書館での調査時間を含むと八〇時間)かかる。

一九九四年はこれより多いかもしれない。模試チェック単価は約一五〇〇〇円~一七〇〇〇円の間である。

インク・コピーなど最低限の元手を引き計算すると一九九五年頃は時給二〇〇円(夏が一五〇円)となる。完璧(かんぺき)な労基法違反である。

 一九九七年頃からパソコン用CD辞書類・インタネット大活用、日常的な新聞ファイル作成や、電子辞書ソフト導入等で効率を図り、時間を大きく減少させた。

しかし、相当時間短縮後の二〇〇一年にチェックした、三年生一一月模試関連に掛かった全時間を記録してみると、模試関連合計時間四三時間二二分、このときの模試の労基法違反抗議文を書く時間類を除くと合計二六時間五七分である。

(通年での資料・新聞類購入費等を除く)一回分の基本的な模試限定経費を引き時間給を計算すると、比較的早くできたこの模試でさえ、前者が時給二七七円であり、後者が時給四五二円である。

除外した毎日の政経調査関係費用、年間模試チェック用ソフト・資料購入費用、図書館・本屋等への交通費等調査費を加味すれば赤字となる。

だが、それだけではない。更に③~⑥の手口で労働は強化された。


 ③一九九四年頃には、当初の仕事契約になかった事項を、相談も賃上げもなく押し付けられ、更(さら)に時間を奪われた。

例えば、小問(しょうもん)も含めて五〇問全部の難易度や正誤率予想などのコメントを詳細に記せ、などである。

契約はミスのチェックと極端な悪問(あくもん)・難問のみの指摘であったにも拘(かか)わらず。契約外労働の無賃金押し付けである。


 ④分割送付

「分割送付とは模試二年一一月ならば、大問一と二のみ送付し、後日に大問三と四を送付し、更に後日大問五を送付するなどの行為……ひどいときには大問三の本文のみ送付してきて、後日大問三の解説・解答のみ返送してくることもありました。

しかも、九〇%以上が私が返送した後で再度別の大問が分割して送付されてきた。更にひどい年には分割送付が模試送付の約四〇%に及んでいた。

注意をしたため四〇%であり注意がなければ六〇%となっていたであろう」(ベネッセ宛(あて)抗議手紙二〇〇一年六月一七日)。


 こうして、大問五題の模試で、それを大問一問ごとに、しかも解答と解説をバラバラな日に送付してくれば一回のチェックではなく事実上十度となる。

我が家から往復五キロの郵便局までその都度自転車か、バスならば一時間に一本のため三時間以上かけて十度の往復となる。

更に送付前に往復八キロの所で全部コピーをし、保存しておかねばならぬため二十度の往復となる。

これは最悪時の例えであるが、先の手紙の如(ごと)く三~四度の分割はあったし、二度は日常茶飯事(さはんじ)であった。

激しい分割時には、送付・コピー関連の往復時間を法律上の最低賃金で計算すれば、支払額はそれのみで相殺(そうさい)され、チェック料は事実上無料となっていた。


 ⑤既(すで)に述(の)べた模試作成のプロセスで、(イ)で私が正しくチェックしても、(ウ)等で正しく反映されていなかった問題もある

一例を記す。

 「ユネスコ、ユニセフをNGOとして作成された問題があり、私が……ユニセフ、ユネスコはNGOではないとチェックし訂正を要求しても無視され模試として印刷される

……ユネスコは国連の専門機関であり、ユニセフは国連の常設機関であり……私は誤りと分かって指摘しても作成者も他のチェック者も審査の人も貴社の担当者にも無視され、それでも一九九三年の如く無料でやり直しをまた私にさせられたら、(プライド上も)大変のため、貴社及び作成者を納得させるため、ユネスコ、ユニセフ関連に直(じか)にこれらはNGOではないと電話及び手紙で一筆もらい漸(ようや)くストップをかけたはずです。

(財団法人日本ユニセフ協会大阪支部にも直に足を運んでおります。)

 勿論(もちろん)、ユネスコと社団法人日本ユネスコ協会連盟、ユニセフと財団法人日本ユニセフ協会の区別もつけられるような人は貴社関連にはいませんでした。」(ベネッセ宛(あて)手紙より。)


 ⑥右記の⑤などから、責任の所在を明確にするため、模試原稿の私のチェック跡(あと)は毎回(往復八キロの所で)コピーし続けねばならなくなった。

また、右記の労基法違反を止(や)めさせるための抗議文書などで時間及び金は更(さら)に費やされた。


 こうして、②で試算した実質時給は③~⑥により更に減額され、実質一百円台とされた。

ただし本格的なCD事典、『国勢図会』等資料類経費を引けば赤字であった

しかも私は初心者ではない。二〇〇一年当時でさえ政経研究歴(大学・大学院・講師等)約三〇年、政経講義歴(駿台・河合塾を含め予備校等)約一七年、教科政経に携(たずさ)わり約二一年、ベネッセ模試チェック歴約二〇年、他社の超大手模試作成歴約七年、所有文献・資料は小さいボックスを含めて約七〇個(六段本立て換算約四〇個=約二四〇段)である。政経関連を含め器械化推進し、PC、プリンタ四台、多種辞書・事典ソフト類多数、年齢は、まだ頭は老化しておらず、(二〇〇一年当時)四八歳であった。

 かなり以前からこうした傾向が徐々に増大しつつあったが、二〇〇〇年頃からより激しくなった上に、岡短労基法違反後遺症症候群で精神は乱れに乱れた。

手口が岡短と類似であったことから、精神は限界となり二〇〇一年夏にベネッセのバイトも辞めた。


 では、どうしてこうした問題が起こったか。

 仮説―一・通常説。

ベネッセ正規職員は人間で好待遇、パート労働者は人間に非(あら)ずで、安価な労働者。

同時に、この頃から請負社員や契約社員が模試の担当をしだした疑いがある。


 仮説―二・X1説。

一九九五年から駿台とベネッセが模試の提携を開始したが、その数年前から両者の間でそのための会談があった。

同時に私の情報も駿台に伝わった。模試作成や監修者の中に駿台時代に私にちょっかいをかけていた疑惑のある人間の名前も記載されていた。

再度言えば、両者の提携(ていけい)の最初の仲人(なこうど)は、実は、私であったという皮肉つきである。

私が一九八三~八六年にかけ仲人し、結婚(提携)が決まったのは、私の辞職後であった。


 仮説―三・映画説。

最初に無償で模試のやり直しを命じた人間は暫(しばら)くして突然ベネッセを辞職した。(H病院と同一。)

更(さら)にベネッセ創始者・故福武哲彦元社長は岡山師範を昭和一〇年三月卒業であり、私の父は同師範を昭和九年三月に卒業しており、社長の一年先輩である。

当時は一学年約五〇名のため、また寮中心であったため、まず顔見知りであったと思われる。

よって、故父が首謀の映画説かと相当前から疑っている。

おまけに、何度も言うが、今のベネッセ社長は私の高校時代の同期であり、高校時代に何度か学内で顔を見ていた知人である。

これだけ、揃(そろ)って、全て偶然といえるであろうか。


2017年4月28日追記。

ユニセフなどがNGOではないと知った上で、故意に「ユニセフはNGO」と記述をして、私を多忙にしたり、私の収入を赤字にすることを目的としてしていたのならば……
 勿論、仮説―三でも許されるはずがない(犯罪である)。

もし、許されるならばドメスティックバイオレンスなどは全て可能となる。