写真物語ブログ→島原:撮影日2016/11/24:旅に心を求めて№7-7:長崎から水俣まで・島原3・島原城内の北村西望作品
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今回も、写真価値(私の撮影技法)自体はやや平凡である。
しかし、北村西望氏の紹介のため、欠かすことはできない。
北村西望の作品「長崎平和祈念像」と「世界連邦平和像」、この二つが今後の世界の道標だからである。
北村西望氏は、私の行動様式と一致した芸術家であったが、それは後に分かったことであり、偶然の一致である。
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私自身、北村西望氏について、今後いろいろと調べる予定でいる。
特に、彼の世界平和への想いについてである。
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なお、下記写真のタイトルの彫像名の一部は違っているのがあるかもしれない。
分かり次第訂正予定でいる。
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今、考えれば、屋外にある北村西望の彫像全部と、彫像名も写すべきであったと後悔している。しかも、一つの彫像につき、何十枚も写しておかないと、人を魅せる写真は撮れない。
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金欠の私が、三度(既に二度訪問した)、島原に行くことは現在の予算状況では不可能に近い。それだけに、このときの「長崎から水俣への旅」では、独り言を含む無断な時間が致命的となっている。
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しかし、私の家から遠くない位置にある北村西望作品(例:大阪城内、世界連邦平和像)などは根気よく撮影予定でいる。
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もし、宝くじにでも当たれば(「宝くじとは私の著作が大ヒットすればを意味する」ことになれば)島原へも何度も足を運ぶことは言うまでもない。大ヒットではなくては無理である。何故ならば、私の著作は原則百円であり、私の取り分は三十五円でしかないからである。
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次回が、島原の最後となる。
次回は、何枚かユニークな写真を掲載することになる。
同時に、島原の子守歌像の写真と歌も紹介予定でいる。
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しかし、北村西望氏の紹介のため、欠かすことはできない。
北村西望の作品「長崎平和祈念像」と「世界連邦平和像」、この二つが今後の世界の道標だからである。
北村西望氏は、私の行動様式と一致した芸術家であったが、それは後に分かったことであり、偶然の一致である。
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私自身、北村西望氏について、今後いろいろと調べる予定でいる。
特に、彼の世界平和への想いについてである。
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なお、下記写真のタイトルの彫像名の一部は違っているのがあるかもしれない。
分かり次第訂正予定でいる。
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今、考えれば、屋外にある北村西望の彫像全部と、彫像名も写すべきであったと後悔している。しかも、一つの彫像につき、何十枚も写しておかないと、人を魅せる写真は撮れない。
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金欠の私が、三度(既に二度訪問した)、島原に行くことは現在の予算状況では不可能に近い。それだけに、このときの「長崎から水俣への旅」では、独り言を含む無断な時間が致命的となっている。
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しかし、私の家から遠くない位置にある北村西望作品(例:大阪城内、世界連邦平和像)などは根気よく撮影予定でいる。
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もし、宝くじにでも当たれば(「宝くじとは私の著作が大ヒットすればを意味する」ことになれば)島原へも何度も足を運ぶことは言うまでもない。大ヒットではなくては無理である。何故ならば、私の著作は原則百円であり、私の取り分は三十五円でしかないからである。
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次回が、島原の最後となる。
次回は、何枚かユニークな写真を掲載することになる。
同時に、島原の子守歌像の写真と歌も紹介予定でいる。
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