安らぎブログ→「フィールドワーク・東京」(2017年12月1日)の記録―6

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安らぎブログ→「フィールドワーク・東京」(2017年12月1日)の記録―6

「フィールドワーク・東京」(2017年12月1日)の記録―6

 


《◇―1・何故、東京へ行ったか》
《◇―2・早大にて》
《◇―3・今回のフィールドワーク・東京への妨害と皇居訪問について》
《◇―4・道中の不可思議なこと》
(1)勘違いゲームの連続であったこと。
(2)2016年の長崎・水俣の旅の再現
《◇―5・帰宅後も勘違い、誤解…は続く》
《◇―6・その他:日本のフィクサーME続編メモ等に続く内容》――下記は、他原稿の内容関連であり、あくまで参考までに掲載

 


長い文になりました。しかし、田中正造の足跡についての記述や、風景描写もできずに、トラブル云々のみ記述。これではフィールドワークにはならない。

早大にて:
飯島昇藏氏が亡くなっていた。
飯島氏は、私の大学院時代にゼミは違うが、清水望先生の授業二つで一緒であった。政治学読書購読と比較政治学であったと思う。

授業と言っても、大学院の授業は全員で十人程度であり、大学学部のゼミよりも人数は少ない。ほぼ全部の授業が、大学のゼミよりも少ない人数で行われる。それも大半が大学院生自体の発表形式であり、ゼミと同一である。

私的会話は交(か)わしたことはないが、衝撃はあった。
先日、清水望先生の追悼文を書いたと思ったならば、今度は当時の学友に該当する人物の死去である。清水先生は1924年生まれであり、生存されていれば今94才か95才であるが、飯島氏は私よりも一つ年が大きいだけである。
★飯島昇藏氏の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

フィールドワーク・東京の後半は様々な世の出来事があった。11月29日北朝鮮ミサイル発射、同日オバマ・習近平氏会談、11月30日李首相とロシア首脳会談、12月1日「天皇陛下、19年4月退位 改元は5月1日 皇室会議で意見一致」(朝日新聞デジタル)となる。これらの事項が偶然か、偶然ではないのかは、私は現時点では全く知らない


なお、この間のフィールドワークはフィールドワークになっていない。昔ならば女工哀史を偲んだり、小泉八雲について書いたりしてテーマを浮き出していた。さらに、現地の風景描写などを記していた。
今は、フィールドワークの際のトラブル類だけを報告となっており、これでは仕事にならない。


最後に、奇怪な私の人生について一言記した。
帰宅後も勘違い、誤解ゲーム、いな、勘違い・誤解危害は続く。
こうした誤解ゲームが、短大を辞めてからだけで二十年近く続いている。しかし、実際には、1984年頃からであり、もう三十三年の憂き目にあっている。
だが、私の人生の問題の本質は、こうした誤解ゲームや幼稚な挑発、ドタバタ劇類ではなく、職業選択の自由剥奪、人身の自由剥奪、経済の自由剥奪にある。
そして、それらの解決は、他力本願でしかない。

もし、柔道にのめり込んでいたならば、体育系中心の日々となり、今日のストーリーらしきものはご破算となっていたであろう。