安らぎ文庫長期連載→7章・ユージンスミス『水俣』・3節My favorite wordsと私の写真論
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写真(カメラ)と動画(ビデオ)。
記録を残すには、私は動画(ビデオ)を勧める。
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しかし、厳密には、ときには目的が違う。
動画は、全体の流れから、物語を語る。
写真は1秒どころか、数百分の一秒で、全てを語る。
人物の性格から、人間関係から、起こっている出来事から、ときには人間というものの哲学的本質まで語り尽くす。
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そして、人の魂を呼び起こし、ときには歴史を変えることすらある。
ユージンスミスが目指したカメラ道にはそうした世界も含まれていたように思われる。
ユージンスミスの全体としての写真哲学と、そして彼が三年の歳月をかけて撮った水俣問題が第7章のテーマであった。
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第三節では、スミスの写真への想いを英文で紹介する。
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私も写真を職業・プレゼンテーションの一つに組み込んでから、上記世界に引かれることもある。
もっとも、私の場合には妨害が多い。
姉などは、全部良い写真を求め、同時に「お子様ランチ型写真」を私に強要する。
母が生存中には、母にカメラを向ければ満足であり、「写真哲学…、イモの一種か。それはどこの国のイモか…」、であった。
はや、三十年の歳月をこうした環境に置かれる。
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母と姉の件は冗談であるが、もはや三十年以上、被害者の私が加害者風に演出され、被害を受け続けている。その点は水俣病患者と類似する面があったことは事実である。
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今回、冒頭に、私が水俣で撮った犠牲者慰霊碑写真を一枚のみ掲載する。
この場面のみで66枚撮影している。
しかし、撮影開始が遅く(2016年11月25日17時43分から18時13分)、三脚もなく、手ぶれ間違いなしの場面で撮った写真である。
このときの最後の一枚手ぶれはまちがいない(晩秋の18時13分42秒)。ではピンボケで手ぶれを相殺し、いやそれ以上にピンボケの醍醐味を出そうと(自称ピンボケの魔術師)、故意にピンボケで撮った写真である。
(※注1。時としてのピンボケ撮影の素晴らしさは、写真物語・技能関連で徐々に紹介する)
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ただし、どうしても、この犠牲者慰霊碑撮影は決めたい。そこで、多重露出も併用した。このとき撮った66枚は気迫の撮影であった。
今回の写真よりも、よりましな写真もあるかもしれない。
しかし、私の当時の心理と、犠牲者慰霊碑への私の想いを込め敢(あ)えて66枚目最後の写真ピンボケ写真を掲載する。
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なお、水俣の写真は「写真物語館ブログ」(特に旅に心を求めて編)や、独立HPである写真物語館・水俣編HPに、後日掲載予定でいる。(写真未整理が山積しており、今、しばらくお待ちいただきたい)
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最後に、今回の水俣訪問は、三つの書籍にて記述予定でいる。
『改定版・旅に心を求めて―不条理編(下)』、『求め続けて第三部』(この原稿の修正版)『生命への畏敬(いけい)・水俣』である。
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上記コメントに加筆し、写真を数枚添付し、安らぎ文庫・「写芸楽」に近々、今回の内容とその延長の哲学論を掲載予定でいる。