重要情報公開№5(その3)私の生活権を奪った、不可思議な1997年の交通事故―資料編

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重要情報公開№5(その3)私の生活権を奪った、不可思議な1997年の交通事故―資料編

1997年1月の事故で、私の車の修理費が全部で2万円台と記述したことが事実かどうかという暗示があったため、当時の請求書と領収書を以下公開する。

同時に追加資料をも記述。


【追加資料】

①私の車の全修理費は2万8800円である。(以下領収証コピー参照。)

②車を修理に出したのが早くても1997年1月14日(1月14日午前中に車に乗った記録がある)。遅くて1月15日。(事故日は既に記述の如く1997年1月13日である。)

③車が修理から戻ってきたのが1997年1月16日である。


④上記から推測できるが如く、事故というよりも、軽いコツン程度の接触であった。

ちなみに、当時の記録によれば、次の記述がある。

→駐車三台中の最後の車の人は、接触事故後、「40秒以上電話中で出てこず…」:1997年日程一覧より。

→1999年の覚書では「…衝突後にすぐ他の車が玉突き衝突をする危険を避ける義務が全員にあったにも拘(かか)わらず、三台目(…)は衝突後にも携帯電話しておりでてこず。私がぶつかったのにも気がついていなか(っ)たと思われる。…(そ)前の二台目の車が無傷である…」
(「1997年1月事故を振り返って」99年文章編:2000/12/19に一部追記)より。

※三台目とは、当時、急カーブに車三台が駐車しており、最後の三台目を指す。この車に私の車が接触。

⑤よって、上記事故はコツン程度の接触であり、これで(私の)事故現場のみの記憶が飛び若しくは私が違う場所と勘違いしたのではないとしか分析できない

⑥参考メモ(⑥は単なる参考メモ)
以下は記録ではなく、現在の記憶のため、正確さは不明である。
私の記憶では、当時、最後尾の車(三台目)は、私が車が接触したのに気がつかず、電話が長いため、私が車の窓をノックし、『すみません、私はあなたの車にあてたのです』とか『たまつき衝突が怖いので車を動かせていただけるでしょうか』などを言った覚えがある。

ただし、悪まで⑥のみは記憶のため、⑥のみは参考メモにすぎない。

 

事故修理-1997-1-17ー請求書

事故修理-1997-1-18-領収証

 


重要公開シリーズで、交通問題関連は、原則として、新たな事項がない限り、ここまでとする。

次は既に決まっているが妨害が多いため、しばらく伏せる。

商い関連などは極力書きたくなく、店側が襟をただし、それでお開きとすることを願っている。

交通問題は人間の命がかかっており、最優先とした。

次は、秘密としたが、予定を記す。

原則として労基法違反関連である。