16-07・御礼―ビジネスホテル・サンライト様
□
私は、感謝のブログで水俣市役所総務課、観光課、水俣病資料館の箇所に書いたように、水俣関連の原稿を書く目的で水俣を再訪しました。この原稿は、大きくは世の絆構築を訴える目的と、小さくはいずれ教壇に復活したときに授業の教材とするためです。
□
その原稿を記す上で、水俣市全体の風景やチッソ工場の写真撮影が不可欠でした。1983年に水俣を訪れましたときは、集団で近くの病院の屋上から撮影させていただきました。その頃はカメラをやっておらず、父の壊れかかったカメラで数枚しか撮影しておらず、しかも手ぶれの写真もありました。
□
そこで、今回の水俣再々訪ではチッソ工場などの写真撮影が重要な要素となっていました。貴ホテルの受け付けの方に事情をお話すると気持ちよく応じていただきました。
□
そして、朝、掃除の方同伴のもとで、ホテルの屋上から水俣市の全体やチッソ工場を撮影することができました。どれほど助かったか分かりません。深く御礼申し上げます。
□
掃除の方には、仕事の途中で、御協力いただきまして、恐縮すると同時に厚く御礼申し上げます。
□
さらに、前日、湯の児の所在を聞きますと、翌日にはバスのコピーまで準備いただき、重ねて感謝申し上げます。
□
なお、撮影中は、掃除の方は、私がどんどん撮影する姿に驚かれたと思います。カメラ関連の専門の方以外が驚かれることがよくあります。
これには二つの理由があります。一つは、今回の重要な撮影のため水俣にきており、失敗は許されません。そこで、一気に撮ります。調べますと、レンズ交換やカメラ二台のコラボレーションの時間を含めて9時24分2秒から、9時29分18秒までの約5分の間に48枚撮影しておりました。
しかし、それだけ今回の撮影が重要だった訳です。
□
二つ目は、撮影現場とはそうしたものなのです。昔、ホーゲルパークで梟(ふくろう)撮影をしようとしますと、ほかの方のときには飛ぶのに、私のときには鳥が緊張し、飛ばなかったことがあります。撮影は英語でシュートと言うが如(ごと)く、銃を撃つような気迫がでてしまうときがあるからでしょう。
しかし、私は党派中立・宗派中立を唱(とな)え、ただ世の不条理をなくし、人々の絆の構築を願っているだけです。
□
長々と書きましたが、仕事を遂行する上で、貴ホテルの協力は大きな助けとなりました。再度感謝申し上げます。
□
また、この夜(2016年11月25日)に、貴ホテルで食べた食事は大変おいしかったです。白身の魚のフライの味は忘れられません。水俣でとれた魚の焼き魚と刺身もおいしかったです。飲物もおいしかったです。
□
今回、撮影しました写真は、誰にとっても有効・友好であるような形で使用する予定です。
□
浜田隆政
2016年12月3日