トラブルブログ→重要情報公開№5(その1)私の生活権を奪った、不可思議な1997年の交通事故。

トラブルブログ→重要情報公開№5(その1)私の生活権を奪った、不可思議な1997年の交通事故。

 

重要情報公開№5(その1)私の生活権を奪った、不可思議な1997年の交通事故。



もし私が右にハンドルを大きくきり――少し右にきりセンターラインを少しはみ出した形で止めたが――センターラインを大きく越えて車をかわしていれば、対向車がいれば大事故であった。死亡事故となり私が死亡していた。
だが、あてた瞬間にハンドルを右にきったが、交通量の多い道にも拘わらず、交通整理でもしていたかの如くに、対抗車が即来なかった記憶がある。


「……九七年一月=頭の白紙化・記憶喪失。無法トラックを見て頭が白くなる。カーブ上に違法駐車中の車と接触したが、事故現場が数日間不明で全く違う場所を農協共済などに届出。後日、私の写した事故現場の写真より、事故は私の実家から五百メートルくらいの場所で過去二~五千回以上通っている所と判明する。

尚(なお)、拙著『生命への畏敬』のタイトルの如く、交通問題関係で言えば善良な他人の命は私の命に代えても守る主義であり、このときも後続車に抜いてもらい、徐行に入りかけていたときの事故であった。

この事故に関しては不可解なことが多数あり、別にミステリーとして記さねばならぬような事故を起こす仕組みも多々あった。だが、私が精神を病んでいた場合の事故を警戒して、姉が車をやると言っても、母が歳(とし)なので車で病院まで送迎してくれと言っても、その後一〇年たつ〇七年現在も車は一切運転していない。病気ならば治るまで、映画説ならば人命を軽視するシナリオがなくなるまでは。老人・子供を含む歩行者の命は自分の命を懸けても守る。」

通常は、この事件も、その他の事件も、仕組まれた事件としか思えない。しかし、罪名は殺人未遂罪と傷害罪である。

④この事件の本質。
事故・事件の本質は、今考えると催眠類としか、思えない。そして、事実ならば、私は明白に刑事犯罪被害を受けたことになる。
……
②横で聞いていたK先生は、自信ありげに一言いった。
「水俣へ行かれて財布を紛失した話をされたでしょう。そして、それを(一般の人ではなく)警察官自身が見つけて届けられたのでしょう。今回も同じです。その内に警察から訂正の通知が来ます」、と。
自信を持ち断言された。
……
《詳細は本文参照》