伊達公子さんへのメッセージ。(伊達さん引退にあたって)

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伊達公子さんへのメッセージ。(伊達さん引退にあたって)

(1)伊達さんへのメッセージ。

伊達さんを始めて見たのはいつだっただろうか。
下記(2)の本の中にでてくるということは、2009年か2010年だっただろうか。
疲れて、一階で、テレビを見ていると、知らないうちに布団もかけずに寝ていた。
そして、午前2時頃目覚めた。
すると、つけっぱなしのテレビに伊達公子さんがでていた。
それが最初だったと思う。

その後、報道ステーションで、伊達さんのトレーニング風景を見て感心した。
伊達さんが四十才前の頃だっただろうか。
相当なトレーニングであった。

私も、1995年頃から再起を目指して、柔軟体操と筋トレを開始した。
再起と言っても、私の場合には授業屋であるが、体力がいるからである。
48才(2000年)の頃には腕立て伏せ連続200回までに回復した。
ブリッジは額(ひたい)どころか、本当に顎(あご)までつくようになった。
そうした関係もあり、伊達さんの活躍に、私の復活の可能性も見ていた。

しかし、伊達さんは本年(2017年)引退した。
他方、私は未だに復活を目指して…の日々である。
ただし、運動の方は故・母に振り回されて、2011年頃から小休止状態である。
しかし、本年頃から再開しようかと考えている。
メニューは、腕立て30回×20回、ブリッジ50回、腹筋30回×10回、スクワット100回×3回、エキスパンダ20回×10回、ダンベル、縄跳び。
そして何よりも柔軟体操。
イチロー君の姿を見るときもいつもそう言っていたが、有言実行とはならなかった。
とにかく、今、多忙すぎるので。
しかし、本年こそ、きっちりと再開の目処(めど)をつけたいと考えている。


伊達さんからみると、そんな程度と思うであろうが、本年65才という年齢以上に、超多忙なため、時間を捻出(ねんしゅつ)するのが大変なのである。
この原稿を書いている今、午前5時すぎである。

満身創痍(そうい)の中での伊達さんのトレーニング風景には感服した。
また試合でも夢があった。


今後の御健闘をお祈りします。

最後に、一つだけ、内緒で教えてください。
今度、カンバックするのは何歳でしょうか。
「Between You and Me」なので、テレビに出たときにでも教えてください。
なお、下記(2)は、私の著作の中で伊達さんが登場する場面です。




(2)拙著『日本のフィクサー〝ME〟』で伊達公子氏登場場面

……
帰りの道中、見慣れた風景のため、様々な事が脳裏を過(よ)ぎった。プレゼンテーション屋(授業屋)の私の脳裏に浮かんだのは王貞治氏との対話である。確か、二〇〇九年三月開催のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第二回大会の半年余り前のことである。WBCの監督にもなってもらいたいし、ソフトバンクの監督も辞めて貰(もら)いたくないので、私は王貞治氏(一九四〇年五月二〇日~。通算本塁打数868本は世界最高本塁打数記録)に言った。


「王さん、グランドで死んでくれないか。人間いつかは死ぬ。ならばグランドで死んでほしい。だから監督を続けてほしいし、WBCの監督にもなって貰いたい」
というのは、王さんは二〇〇六年夏に胃癌の手術を受けており、体調が余りよくなかったからである。二〇一一年に知ったのであるが、二〇〇九年九月にも、東京都内の病院で腸閉塞(へいそく)、胆嚢(たんのう)摘出手術を受けており、今考えれば本当に無責任なことを言ってしまったものである。ところで、私の言動に対して、暫(しばら)くして二〇〇六年初秋頃に、王さんから返答があった。


「僕も、本当はグランドで死にたいんだ。……でも、それでは、選手が可愛(かわい)そうなんだ」 王さんの目には涙というよりも、野球への想いが溢(あふ)れ、その溢れた熱意が水に形を変え、涙に見える形でほんの少しばかり零(こぼ)れているように思えた。恐らく、選手が監督の病状を心配したり、監督を変に気遣(きづか)ったり、何が何でも監督のために勝ちたいと闘志が空回りしたりしていることを言われたのであろう。この時の王さんの野球への熱意、更にその後、テレビ(TV)で野球について語ったときの情熱、これがプレゼンテーション屋の私がプレゼンテーションの本質と考えているものである。


何故(なぜ)、二〇一一年雪の中で王さんのことを思い出したのか。それは、クルム伊達(だて)公子(きみこ)氏(一九七〇年九月二十八日~ 。日本の女子プロテニス選手)がカンバックし、ここ数年大活躍をし、世の注目を浴びていた。その伊達さんが、本来ドクターストップとなるような怪我(けが)を隠してプレーをしたときがあった。私は伊達さんに、「無茶をしてはいけない」と言った。伊達さんはクスクスと笑って聞いていた。王さんに言ったのとは逆に思えることを言ったのは、一線の選手として活躍するためには、彼女の場合には休養の方が必要と判断したからである。両者には、高齢化社会の中で、形式的な年齢に対する偏見を破って貰いたいという思いもあった。但(ただ)し、そのためには両者に対しての言動は逆となった。


ここで詳細な解説は省く。ただ次のことは知っておいて貰(もら)いたい。柔道などでは怪我(けが)をしても隠して出場したり、相手も怪我(けが)に気づけばそこを攻撃したりしないことが美徳とされる。相撲では怪我をして出ると相手の力士に失礼に当たるため、できる限り欠場することが望ましい、となる。プロレスでは相手のレスラーが怪我をしていれば、その怪我の箇所を徹底的に攻めるのが相手へのエチケットとされる。どれが正しいか。いずれも正しい、と私は思う。スポーツの性格やその選手の年齢その他により解答はマチマチである。


今、私と王貞治氏との対談とか、伊達さんとの会話という表現をした。これは比喩(ひゆ)ではない。実は、私はTVその他を通じて、各界の人と会話をする運命に陥(おとしい)れられていた。そして、その相手がスポーツ選手や芸能人などだけではなく、日本のみか世界の政治家、経営者達となっていった。何故そうなったか。どのようにしてそうなったかなどは物語の中で断片的に語るとする。

{「拙著『日本のフィクサーME・上』(Kindle・KOBO版・各百円・$1)の第1章・お初(はつ)天神様、一・故郷(ふるさと)の冬は寒い」より抜粋。}


(3)伊達公子関連動画



【タイトル】松岡修造「伊達公子の現役ラストゲームに生涙」
【リンク】https://www.youtube.com/watch?v=m1-YgvSKB1s

【YouTube記載事項】



【タイトル】【テニス】【引退】伊達公子 引退 ベストマッチ 1996年ウィンブルドン準決勝 S・グラフ戦 ハイライト
【リンク】https://www.youtube.com/watch?v=bR889Fm6sRg

【YouTube記載事項】

(4)伊達公子関連資料

……
伊達公子(だて きみこ、Kimiko Date、1970年9月28日 – )は、日本の女子プロテニス選手。京都府京都市上京区出身。WTAランキング自己最高位はシングルス4位(現行システムでの日本人最高位タイ)、ダブルス28位。WTAツアー通算でシングルス8勝(日本人歴代2位記録)、ダブルス6勝を挙げている。
……
2017年
2017年8月28日、「『そう遠くない日』と言っていた日がとうとう訪れました。伊達公子、再チャレンジにピリオドを打つ決断をいたしました」と自身のブログに記し、現役を引退することを表明した。最後の大会となったジャパン女子オープンテニスではセルビアのアレクサンドラ・クルニッチに 0–6, 0–6 と1ゲームも奪えず完敗した[10]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E5%85%AC%E5%AD%90