T15-13:8月6日広島行き連続危害関連データ

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本日(2015年8月27日)も午前3時20分、(午後)12時22分と悪戯が電話あり。

 

 

(1)本題【広島トラブルに関するデータ記述について】
交通機関に関しては、小トラブルは結構ある。しかし、(広島に原爆が落とされた)8月6日に広島行きとなると、異常とも思える形で妨害されているとしか思えない。昨年8月6日は三原駅で汽車(JR)が止まり、見通しがたたぬといわれ三原駅で断念。しかし、TVニュースなどを見たが報道はなかった(少なくとも私は探しても見られなかった)。
本年も確実に妨害を予想されたため、その妨害を阻止するべく、事前に広島行きを公表し妨害を阻止し、行くことは行けたが帰りは既述の如(ごと)く、汽車の遅れと接続なし問題から駅構内で徹夜となった。

 

これらについては、偶然かどうか、もし故意ならば誰が張本人か、…は今は分析できる材料はない。ただし、念のために、本年の最高責任者のデータを下記に保存しておく。
ところで、私が労働省所管の大学校で労基法違反被害を受け、それへの抗議及び救済依頼を労働省(厚生労働省)に何度も送付した。
2000年に労働省に送付したときの送付先は労働大臣、労働局長、職業能力開発局長などに別個に書き留めで送付した。 その頃、松井一實氏(現・広島市長)は労働省職業安定局 雇用政策課長をされていたようである。(※1)
ここで明白に記す。かような線がありそうにみえても、私は何の判断もしていない。関係あるか・ないかすら判断していない。
ただ、データは蓄積していおいた方が良いであろうという観点から、以下のデータをまとめた。同時に、犯人は誰かいるため、ともかくデータを保存するというだけである。

重複して記述。下記のデータは、何の意味もないかもしれないが、あくまで念のためのデータでしかない。下記のデータ解釈は現時点では何もしていない。

(※1) …1999年12月19日に今回の文書(1999年版)をポリテクカレッジ岡山、雇用促進事業団本部、労働省の幾つかの部署、朝日新聞、日本共産党中央本部等に、2000年4月2日には(早大政研先輩)小渕総理大臣、土井たか子氏、不破哲三氏、労働大臣、労働省……に送付した。文書を送付するや、逆に、本文「文書―1」の補章第三節に記述したような監禁状態に置かれているとしか思えない状態となった。(公明党も含めて、主要政党にはすべて送付している)。
【本年のJR・広島に関するデータ】

①JR西日本社長。

真鍋 精志(まなべ せいじ、1953年10月21日 – )→日本の実業家。JR西日本代表取締役社長。
香川県出身。1976年に東京大学法学部を卒業し、日本国有鉄道に入社
2005年4月に発生したJR福知山線脱線事故の際には、執行役員財務部長という立場で50日間会社に泊まり込み、遺族支援の枠組みを作り上げた。

 

②JR西日本会長

《佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 – )は日本の実業家。JR西日本取締役会長。

1946年8月 広島県広島市生まれ
1965年3月 広島大学教育学部附属高等学校卒業…
日本復帰後は、副社長や新設ポストである副会長に就き、山崎社長を補佐し、グループ全体の経営改善等を担当していた

ところが2009年7月8日に山崎正夫社長がJR福知山線脱線事故に絡み業務上過失致死傷罪の罪で、神戸地方検察庁により在宅起訴された。これを受けて山崎社長は、佐々木と西川直輝副社長が同席した同日午後6時過ぎの記者会見で引責辞任を表明…》

以上、ウィキペディアより引用

 

 

③広島県知事。

《湯﨑 英彦(湯崎 英彦、ゆざき ひでひこ、1965年10月4日 – )は、日本の政治家。第7代広島県知事、実業家、経営コンサルタント、元通産官僚、アッカ・ネットワークス創業者。広島県広島市佐伯区出身。

1978年:五日市町立南小学校(現広島市立五日市南小学校)卒業
1981年:広島大学附属中学校卒業
1985年:広島大学附属高校卒業

1990年:東京大学法学部卒業
1990年:通商産業省入省 通商産業省 機械情報産業局総務課及び自動車課(通商問題担当) 中小企業庁計画部計画課 総括係長 資源エネルギー庁原子力産業課 課長補佐 通商政策局米州課 課長補佐 イグナイト・グループ(米国シリコンバレーベンチャーキャピタル)出向
1995年:スタンフォード大学経営大学院(MBA)修了
2000年:株式会社アッカ・ネットワークス設立(代表取締役副社長) (2005年 JASDAQ上場)
2008年:Office Y(アドバイザリー/コンサルティング業務)設立
2009年:広島県知事選挙に出馬。県議会の自民党最大会派や民主党会派の支援を受けて、投票者数の50パーセントを超える、395,638票を得て当選した。
2013年:広島県知事選挙へ再選を目指して出馬。自民党、公明党、民主党の推薦を受けて選挙に臨み、再選を果たす》

以上、ウィキペディアより引用

 

 

④広島市長

《松井 一實(まつい かずみ、1953年(昭和28年)1月8日 – )は、日本の政治家、厚生労働官僚。広島県広島市長(2期)。

1953年1月8日 – 広島県広島市東区牛田で出生[1]
1976年 – 京都大学法学部卒業、労働省入省[1]
1989年 – 在英国日本大使館1等書記官[1]
1993年 – 労働省婦人局婦人労働課長[1]
1994年 – 労働省職業安定局高齢・障害者対策部高齢者雇用対策課長[1]
2002年 – 厚生労働省大臣官房総務課長[1]
2006年 – 厚生労働省大臣官房総括審議官[1]
2008年 – 中央労働委員会事務局長[1]
2011年4月 – 広島市長選挙に無所属(自由民主党・公明党推薦)で出馬し、初当選。第36代広島市長就任[1]
2015年4月 – 広島市長選挙に無所属(自由民主党・公明党・民主党推薦)で出馬し、2選[17]。

「くれくれ」[編集]

2011年6月16日に、被爆体験記を出版した被爆者らと面会し意見交換を実施したが、その際、被爆者であることを理由として医療費支給を求められたことに触れ、「悪いことではないが、亡くなった人の事を思えば簡単に言える話ではない」、「『くれ、くれ』という権利要求みたいな気持ちではなく、『ありがとう』の気持ちを持つことを忘れないように」等の趣旨の発言をした。この発言に対し、広島県原爆被害者団体協議会の金子一士理事長は、「被爆地の市長でありながら被爆者援護に対して無理解だし、広島の実相を知れば、このような発言はできるのか」と非難のコメントを発表した他、日本原水爆被害者団体協議会も発言の撤回を求めた[9][10]。

同年6月23日の広島市議会定例会にて、この発言について陳謝した[11]。》以上、ウィキペディアより引用

★以下は社団法人 先端技術産業戦略寿司員機構のHPからの引用である。
http://www.hiia.or.jp/section/section_employment.html

 

雇用・能力開発部会 活動概要の〔シンポジウム・研究会〕箇所に以下の記述があった。

2000年10月

シンポジウム IT革命と雇用ビジョン
講師: 唐津  一 氏 東海大学教授

パネルディスカッション
松井 一實 氏 労働省職業安定局 雇用政策課長
森永 卓郎 氏 株式会社 三和総合研究所 主席研究員
S・デイビス 氏 麗澤大学国際経済学部 助教授
三輪 春樹 氏 東海大学 助教授
伊藤 純逸 氏 株式会社 産業立地研究所 取締役研究部長

※ちょうど、この頃、私が何度か労働省、労働基準局長、労働省職業能力開発局長…に調査依頼をしていた頃である。ちなみに、労働省所管の大学校での労基法違反被害救済依頼文書を(2000年当時の)小渕総理始め政府機関、主要政党党首等に4月3日に書留送付するや、その夜、小渕総理緊急入院の緊急ニュースが流れた。小渕総理は早大大学院政治学研究科修了、私も同様であり、小渕総理は私の先輩にあたる。当然、小渕総理と私の両方と知り合いの教授が多数いたころである。

 

 

 

(※追記。参考メモ)昨日昼から何をきっかけか不明であるが、催眠状態となり、全く予測していなかったインタネットのおかしなサイトを徹夜(26日正午頃から27日午前6時頃まで休憩抜き)で見ることを強要された。本日は軽度の頭痛から仕事が十分できずテレビをみるように誘導された疑惑が強い。私には前者は催眠類としか思えない.本日は軽度の頭痛から仕事が十分できずテレビをみるように誘導された疑惑が強い。私には前者は催眠類としか思えない。何故ならば、写真・整理など他にすべきことが山積したいたのであるから。
なお、8月6日の広島では広島市自体では大変丁寧に対応され、仕事上大変たすかったことは 浜田隆政写真物語・話の間「広島の小さな旅・1」 で書いたことを再度強調しておく。