追悼―日野原重明先生。
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日野原先生が7月18日に亡くなられた。
私の第一声は、「先生、やはり人間は死ぬものなのですね」であった。
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思えば、自宅監禁の憂き目に遭(あ)い、絶望の日々の人生であった。
しかし、その間でも歳だけはとり続けていた。
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いつ監禁下から解かれるか不明である。
相当老いてからとなると、どうなるのか。
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そんなある日、新藤兼人監督が93歳で登場され、私に次のように言われた如くに感じた。
「おい、若いの、歳の取り方をみせてやる」、と。
そして、その後、百歳まで仕事をされ、百歳で亡くなられた。
では、93歳で解放されても、百歳まで仕事はできるのか。
逆に言えば、93歳まで解放されないのか。
同時に、93歳から百歳の間だけ、能力にふさわしい収入がある仕事が可能なのか。
それは死闘型で仕事を強要されることでもある。
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さらに、その後で、日野原重明先生が登場された。
そして、次のように言われた。
「歳の取り方に興味がありますか。
それでは、見ておいてください」、と。
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やがて、先生は百歳からの挑戦と名付け、百歳を超えて、ヘリコプターから落下傘でおりられ、百歳からインタネットでFacebookを開始された。
百歳を超えて様々な分野に挑戦され続けられた。
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では、私は百歳まで監禁されても大丈夫なのか。
再度、逆に言えば、百歳から、能力にふさわしい賃金を得る仕事がようやく開始となるのか。
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同時に百歳から本当の死闘が始まるのか。
いや、それは困る。
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すると、先生は言われた。
「終わりがよければ全てよし」、と。
恰(あたか)も、私の人生を指して言われた如くであった。
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だが、この世の後で、あの世があったならばどうなるのか。
あの世は永遠かもしれない。
すると、私の苦境は「終わりが良ければ全てよし」のため、いつまで経っても終わらないとなる。
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しかも、日野原先生はクリスチャンである。
大学は京大医学部だが、中等部は関西学院中等部に在籍されていた。
関学はキリスト系大学である。
私も、大学院は早大であるが、大学は関西学院大学であった。
ちょうど、小池百合子氏と同期入学であった。
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先生のFacebookはしばしば拝見させていただいていた。
先生のFacebookや、関学のFacebookの日野原先生特集の所に書込みさせていただいた。
ただ昨年頃から、先生のFacebookが消え、関連者(応援者)のFacebookしか目につかなくなり、どうされているのか心配していた矢先に先生の訃報に接した。
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日野原先生とテレビを通じてであるが、対面させていただいたことがある。
徹子の部屋であった。
徹子の部屋の録画風景と先生の生い立ちの録画YouTubeを最後に掲載し、先生への追悼文とする。
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先生、あの世で、最愛の奥さんと再会され、新たな幸福と出会われたでしょうか。
先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
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■日野原先生関連動画
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【タイトル】日野原重明・聖路加国際病院理事長(関西学院中学部出身)インタビュー【フルバージョン】
【リンク】https://www.youtube.com/watch?v=GPJ2ZaGU8NM
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【タイトル】ゴロウ・デラックス 151022 日野原重明がゲストで登場!
【リンク】https://www.youtube.com/watch?v=BTsI-rc-uJ4&t=668s
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【タイトル】徹子の部屋 5月15日 ! 徹子の部屋 第9992回 日野原重明 – 2015年5月15
【リンク】https://www.youtube.com/watch?v=nqZF9zjVrdw