祝い―福原愛ちゃん、結婚おめでとう!
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福原 愛(ふくはら あい、1988年11月1日 – )ちゃんの入籍の件を9月上旬に知る。
愛ちゃんは1988年生まれである。
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1988年とは、拙著『求め続けて・第二部』の舞台駿台予備学校を、刑事犯罪被害の連続で辞職した年である。いつか記す、Nという女優がデビューしたのも1988年である。
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しかし、私は鬱病(うつびょう)を激しくした状態に陥り、1990年~93年の間は休眠期と幾つかの書物に記している。この休眠期を脱したのが1993年の終わり頃からである。
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ときを同じくして、愛ちゃんがTVに登場するようになった。とは言っても、5才頃のことである。テレビで見ると、恰(あたか)も「フギャー、フギャー」と泣いていたのを覚えている。こうしたイメージが強かったが、テレビを通じて人と対話などとは思っていない頃のため赤の他人でしかなかった。
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ところが、徐々にテレビなどを通じて、テレビの中の人間と対話しているように思えてきた。そこで、2004年のアテネオリンピックのときには福原愛ちゃんに檄(げき)を飛ばした。しかし、ぶつぶつ文句やら何やら、どうも反抗期のようであった。彼女が16才の頃である。
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2008年北京オリンピックのときには、下記のような珍事件があった。 拙著『閉じた窓にも日は昇る』(原稿版)から引用する
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《引用開始》
北京オリンピックの頃、TVで明石家さんまが巫山戯(ふざけ)るので、彼に「福原愛に、私の方に向かってVサインをせよと伝えておいてくれ」と言った。サンマは笑っていた。そして、ある番組で福原愛がVサインをしないため、私がTVの福原愛に向かいVサインをすると、彼女は急に笑い出した。その翌日頃、今度は福原愛がNHKのTVの中でVサインをした。私が笑うと、TVのアナウンサーも吹き出していた。
《引用終了》
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この頃は反抗期も収まっていたようである。彼女が20才の頃である。だが、次のロンドンオリンピックはかなりやられた。
そのときの模様の一部は、拙著公式Blog「夢か-16 ロンドンオリンピック女子柔道での、私の言動の言い訳(14年再録)」の(二)「(二)雑談。福原愛と石井の場合」に記している。
http://hamatakachan.uh-oh.jp/?p=1503
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ともかく、愛ちゃんの思い出としては、「泣き虫愛ちゃん」(私に言わせれば「フギャー、フギャー愛ちゃん」)、次に反抗期、さらには巫山戯(ふざけ)る、人(私)をからかう。喜ぶ。ときにはふてくされる。はしゃぐ、落ち込む。ふくれるヽ(゚Д゚)ノ。笑う(^0^)。ときには大笑い(*^▽^*)……、そして泣く(>o<)。こうして、私は自称、愛ちゃんの「偽(にせ)パパ」となった次第である。
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なお、雑談ではあるが、私の勘違いを一つしるしておく。こうして、「偽(にせ)パパ」ならぬ、私は愛ちゃんの結婚相手にも注意をしていた。そして、私は愛ちゃんはテニスの錦織君と結婚するものだとばかり信じていた。彼は好青年でもあり、これはよかろうと思っていた。
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それもあり、本年(2016年)初頭、錦織君がテレビから私の動向を窺(うかが)っているように思えたとき、今度は錦織君に対して、「義理の偽(にせ)パパ」として、対応しかけていた。ところがどうも様子がおかしい。……。錦織君は好青年そのものであるが、ややこしいことに巻き込まれても困るということで、「偽パパ」は退散した次第である。
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そして愛ちゃんは、台湾の人と結婚した。
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今の、私の心境。「ホッ」とした。これで、愛ちゃんの遊び相手、からかわれる対象からは除外されたであろう。
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ともかく、福原愛ちゃん、結婚おめでとう!
いつまでもお幸せに。
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2016/09/17
浜田隆政