追悼―松山善三様。
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松山善三氏松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 – 2016年8月27日)さんの死去を9月4日に知る。
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松山善三氏と言えば、二つの作品との思い出がある。
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一つは、松山氏が脚本を書いた映画『人間の条件』(1959年作品)である。私は、この映画が戦後の戦争を取り扱った映画の中で最高峰ではないかと思っている。この映画は、小学校の頃、テレビで何度も見た。また、大学時代にはリ・ラン(Re-run)されていた映画館で第一部から第五部までを一気にみたこともある。
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私は正義感は強いが、当初は思想は左でも右でもなかった。無色であった。その私に、戦争というものの不条理をしみこませたものの一つがこの映画であった。こうした映画が土台となり、絶対平和主義者となったのであろう。今や、ピースモンガー(a peace monger)、即ち平和の商人(あきんど)と自負するようになった。
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この映画の主人公役を演じた仲代達矢氏の演技も今でも覚えている。まさに名演技であった。
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さらに、その後、教師屋の道を推し進めたのが、松山善三監督の 『典子は、今』(1981年)であった。この話は拙著『求め続けて』第3章で紹介した通りである。
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こうして、私の人生の幾つかの節目に、松山善三作品と出会った。松山善三氏とは、直接出会ったこともないし、テレビなどを通じて対面した覚えはない。そこで、本来ならば、追悼文などを記すなどは烏滸(おこ)がましいのであるが、先の作品との出会いの関係で書かせていただいた。
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謹んで、松山善三様の御冥福をお祈り申し上げます。
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浜田隆政
2016年9月17日記述