追悼 #立花隆 様 「 #第一次安倍政権 終焉の話」

追悼 #立花隆 様 「 #第一次安倍政権 終焉の話」


2021/06/24 ハンギョレに掲載。

2021/06/26 冠婚葬祭ブログで公開予定

 


最近、Facebookで私の原稿が非表示されることが多い。本年に入り現在迄4つ非表示。
そこで、今回は #黒澤明 の「夢」と同様に、📣私が見た夢の話である。
📢夜中に見た夢までは非表示にすることはあるまい。

☆☆☆(夢)☆☆☆
第一次安倍政権{第一次安倍内閣と改造内閣→2006年9月26日から2007年9月26日}のことである。
小泉政権時に何かと相談を受けた気になり、#安倍晋三 氏にも、一つだけ言ったことがある。

安倍政権で支持率が急落した頃、私は家でいつも言っていた。
日本の総理は国益上、8年を目処(めど)に最低でも4年はするべきである。
毎年交替していたならば国家の信用はなくなる。
トップ会談など誰も信用しなくなる。
更に、官僚国家となり、総理や大臣は飾りでしかなくなる。
そこで、誰が総理になっても、私は同一のことを言い続けていた。

#福田康夫 総理のときも、#菅直人 総理のときも…である。
菅さんには、菅直人総理の伴侶・伸子さんが言ったように支持率にマイナスはないのだから、どんなにガタガタになっても辞めるべきではないと言い続けていた。

ただし、以下の条件では総理辞職はやむを得ない。
①内閣不信任決議案が可決したとき。
②任期満了のとき。
③総理が大病をしたとき。
この三点だけは仕方がない、と。
そこで、安倍総理にも辞めるべきではないと言い続けていた。

すると、ある日、立花隆氏がテレビに登場して、「 #安倍晋三 氏は大病かもしれない」と謎の言動をした。
それからしばらくして、安倍総理辞任が発表された。理由は大病とのことであった。
2007年9月12日のことである。

立花隆氏が何故、事前にこのことを知っていたのかは私には不明である。
なお、立花隆氏との会談は数回しかない。それも僅かである。
#筑紫哲也 #田原総一郎 氏などとは膨大な数に及ぶ。
立花氏の生前中に サシで、じっくりと会談できなかったのが残念である。

ちなみに、この頃の安倍晋三氏は #善玉・#ベビーフェイス( #Babyface )を心がけていた。
嘘みたいな話である。
思想は右派・鷹派であるが、潔癖であろうという雰囲気は見られた。
#福島瑞穂 氏と京都駅で出会ったときでも彼は福島氏に握手を求め、福島氏がどうすべきか迷ったことがあると聞いたこともある。
彼が #プロレス で言う #ヒール(#Heel 悪玉)に転じるのは第二次安倍政権からである。
その話は別の所でしよう。

私の立場は何なのか。
私は党派中立・宗派中立を宣言し、もはや40年になろうとしている。
首相を含む政治家へのアドバイス類は相談されれば、誰にとってもよいことは誠実に答えることが多い。
ちょうど、 #シンクロナイズ の #井村雅代 コーチと同様である。
彼女が日本のコーチのときには日本選手のために、中国のコーチとなれば中国選手のために、再度日本のコーチとなれば日本選手のために…と同様である。プロ野球の監督やコーチも同様であろう。
ただ、それだけのことである。
☆☆☆(夢終了)☆☆☆

21-175-1【#追悼】 #立花隆 様
「 #第一次安倍政権 終焉の話」を #ハンギョレ新聞 コメント掲載。
http://japan.hani.co.kr/arti/international/40370.html
#安倍晋三 #福田康夫 #菅直人 #福島瑞穂

https://twitter.com/Takamasa_Hamada/status/1407968783734427649?s=20

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