追悼―梅原猛様

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追悼―梅原猛様

私の著作の中での梅原氏との出会いの箇所を引用し、梅原氏の追悼文とする。
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 仏像について…私自身振り返れば、小学校・中学校・高等学校と歴史に興味を抱(いだ)けなかった。学年が進むにつれ、中学校で多少苦痛に、高校で完全に苦痛になったのは当然ではなかろうか。それは、味も素っ気もなくただ写した――しかも印刷の質の悪い――写真を見せられ続けてきたのだから。
 教科書は言うまでもなく、教える側が仏像に対する何等(なんら)の想いも感動も持たないのでは興味を持てるはずもない。更にひどいことには、仏像についての見方や本当の意味を日常の言葉で教えられたことは一度もなかった。ただ、ただ仏像名とその作成年代だけを覚えるというのでは苦痛以外の何物でもない。覚えられる人が異常で、覚えられない人が正常としか思えない。……
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浜田隆政著『旅に心を求めて・教材編』第10章・仏像に愛を見る:仏像を訪ねて-その(1)―― 広隆寺・弥勒菩薩から始まる「優しき仏像」巡りの旅
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仏像への関心は、「旅に心を求めて」9章で記した、1986年の松江の山小屋で見つけた本『やさしい仏像の見方』の中の一節を見たことから始まるのかもしれない。この本をNK氏よりこの時山小屋で贈呈される。

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 この本を通じて仏像の見方がかわった。
 詳細は、『旅に心を求めて―仏像に愛を見る』で記そう。
 この本の一部は(3)(Ⅱ)①仏像の見方に引用しているが、この時に印象に残ったことを簡単に記す。仏像とは限りなき愛情・“慈悲”の表現であり、お父さんのような厳しさ“慈”とお母さんのように優しさ“悲”を表現しているものでなければならない、と書かれていた。それは裏切られても・裏切られても愛し続ける親子の愛情のような愛の表現であり、仏像の指1本1本にも満員電車の中で幼きわが子を懸命に落とすまいとする、そうした強い愛を表現しているものであることを知る。その時から、仏像にほのかな興味を感じ始めた。
………
 この教材「旅に心を求めて」全体の流れの中で天武天皇・日野富子の中に支配者の悲劇を見、それとの対比で野麦の美を取り上げ、そして野麦との関連でユージン・スミスの水俣の写真を載せた。その延長上に弥勒菩薩を取り上げたい訳である。弥勒菩薩が何を訴え、人々は何を菩薩に求めたのか。当時の権力者の悲劇及び民衆の悲劇と菩薩、更に現代人にとっての菩薩の意味は何か、を問えればと考えたのである。
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『同上書』
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こうした中で梅原氏の仏像関連著作との出会いが始まる。

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梅原猛氏のように「……仏像の背後に思想がある。……私は仏像を通じて、仏教を発見し、日本の文化を発見したわけである」(*4:p174)という人もいるからである。
 そこで、私はこの授業をするに当たり、必要条件として、①授業をするだけの仏像への想いを私自身が持てるかどうかを最も重視し、それに賭(か)けた。
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(*4)梅原猛・岡部伊都子『仏像に想う・下』(講談社現代新書)
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『同上書』
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更に、『旅に心を求めて』(鑑真和上)の箇所でも梅原猛氏の著作を引用させていただいた。鑑真和上像を見ての梅原氏の感想である。

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〈以下、梅原猛氏の和上像へのコメント〉
「なんというきびしい顔であろう。静かな瞑想と、はげしい気迫、矛盾した二つの情感が、この老僧を包んでいる。はげしい気迫が、彼を海の彼方からこの国へつれてきた。……きびしい戒律が深い生命の瞑想と結びつく必要がある。修行すること五十年、彼の顔には、瞑想の深さと戒律のきびしさがきざみこまれているが、同時にながい苦難の過去が彼の体にしみついている。大乗戒の思想をこの国に伝えんとして、五度渡航を計画、五度失敗。密告、逮捕、漂流、難破、そして失明。あらゆる運命が彼の運命となったが、彼の人類救済の意志は微動だにしなかった。ついに渡航の計画をたててより十二年目、六十六歳のときに奈良の都につき、東大寺に戒壇をつくる。……この顔を見ていると、君ははずかしくならないか。われわれの周囲にあるのは無気力でなかったら腐敗の顔。汚職常習の官吏が現代の秀才のなれのはてであるとしたら、なんと悲しいことではないか。」
 {梅原猛「鑑真和上」[『仏像に想う・上』(*3: pp128-130)]所収}。→(*3)梅原猛・岡部伊都子『仏像に想う・上』(講談社現代新書)
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浜田隆政著『旅に心を求めて・教材編』第12章・鑑真和尚像に不屈の魂を見る―― 先人の命を懸けた学問への道、そして鑑真和上の魂。
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《浜田隆政『旅に心を求めて・教材編』第10章・仏像に愛を見る:仏像を訪ねて》と《『旅に心を求めて・教材編』第12章・鑑真和尚像に不屈の魂を見る》はいずれ世に問う予定でいる。そのときに、再度、梅原猛氏の著作との出会いがあろう。
今は、梅原氏の更なる研究を期待していたため残念としか言いようがない。
もし、冥土があるならば、私も冥土に行ったときに、梅原氏との本当の出会いが始まるでおろう。私がいつ冥土に行くかは、私には分からない。